こんにちは、坂井です。

ある日、家に帰ると妻がこたつで泣いています。
「どうしたんか?」って聞くと「長男の幼稚園のバス遠足の費用が5000円かかるんだけど、その5000円がないんよ。どうしたらいいん?」私も泣きました。
「こんな思いをさせるために仕事してるんじゃない」って!
(坂井泰久著「失敗しない家造り 7つの自己防衛 ―もう欠陥住宅はいらない―」より)

皆さんの中にもこんな思いをしたことのある方がいるのではないでしょうか?
父から引き継いだ「坂井建設」でしたがはじめから順風満帆だったわけではありません。
父は金儲けが下手でしたが実直に良い仕事を積み重ねた結果、地元では結構有名な棟梁になって
いました。

しかし借金の連帯保証人になって、結果、その借金をかぶることになり、我が家はとてつもなく貧乏
になってしまいました。

そんな事情で私は中学校を卒業したその日の夕方から住み込みで大工さんに弟子入りしました。
しかし、高校は出ておいたほうが良いとの母の勧めで定時制に通い始めましたが大工の弟子生活も順調ではなく、
一年で師匠から三行半をたたきつけられ、父の下で働くことにしましたが、甘えていて仕事にならず・・・
それではダメだと大阪で修行を積み、師匠からお墨付きをいただくまでになりました。
父の病気をきっかけに大分へ戻り、再び一緒に仕事をすることになりました。
ある日、父が現場で大怪我をして、一命は取りとめたものの、仕事は段取りからなにからすべて
私にかかってきました。そんな私を待っていたのは「父のお客様」は私に対しての信用がなく、
仕事を任せてはくれないという厳しい現実でした。

はじめに書いた話はそんなどん底にいた頃、思い出すと今でも胸が押しつぶされそうになる
エピソードです。そこから、私の寝ないで働く生活が続きます。そうしてようやく私自身が信用を
得て仕事を任されるようになり、そろそろ自分の家を建てたいと思ったときに、とても高くて
手が出ないという現実に突き当たります。

自分くらいの年収でも家族と無理な生活をすることなく支払いの負担が重くなりすぎないような家を
造っていきたい。この思いこそ私がサラダホームを作ろうとした原点です。そのサラダホームも
今年で10周年になります。
地域の皆さんに名前を覚えていただいて「大会社」ではないけれど、地域に根ざした地場工務店と
して営業を続けさせていただきたいと思っています。